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山行記録

越後 阿寺山 阿寺沢左俣左稜  2012/02/04-05

メンバー: P(CL)、R
天候: (4日)曇りのち雪、(5日)晴れ
タイム:
<2/4>
池袋(前日23:30)<高速バス>六日町IC(02:35-02:40)→六日町駅(03:25-07:20)<バス>野中(07:40)→除雪された道の終点(07:55-08:10)→阿寺沢左俣左稜取付(09:45)→ビバーク地点(15:15)雪洞泊
<2/5>
ビバーク地点(09:30)→阿寺山西稜(13:40-14:00)→ビバーク地点(14:35-15:15)→阿寺沢左俣左稜取付(16:30)→野中(15:04-15:05)<バス>六日町駅(17:32-18:05)<電車>東京

最近の会の活動が停滞気味なのをよそに、一人気を吐いているRの希望により、ラッセル&雪洞泊のできる山を計画。となれば、もちろん越後。今回は直前まで大雪だったので、たっぷりの雪と思う存分戯れることができた。山は数年前の2月に一度訪れている阿寺山。ルートは前回の南西稜ではなく、阿寺沢左俣左稜。南西稜はただただなだらかな尾根をいやらしい雪のラッセルに終始しただけだったので、地図で毛虫を探していると、あるではないか、阿寺沢左俣左稜に。ということでルート決定。実際は毛虫も冬眠中だった。

4日
3日の夜、池袋から出発する新潟行の高速バスに乗り込む。雪の高速道にも関わらず、予定より若干早く六日町ICのバス停に到着。かなり冷えるが雪は舞っていない。辺りは2mを越す雪の壁に囲まれている。最近の大雪を物語っていた。
六日町駅まで15分程度の道のり。途中にあるコンビニに立ち寄り、若干の食糧を買い足す。六日町駅の一階にある待合室らしき場所は24時間解放されていて、トイレもあり、暖かい。ベンチの上でシュラフに包まる。
バス発車の30分前に起き、支度をしてやってきたバスに乗り込む。乗客はわれわれの他に地元の爺さんが一人のみ。終点野中で下車し、そのまま三国(さぐり)川沿いの道路を上流へ向かって歩く。
道路はしゃくなげ湖の右岸と左岸に分かれるが、いつもの癖で早々に右岸への道をとる。すぐさま除雪された道は終わり、ラッセル開始となる(実際は、分岐を右へしばらく行くと余計なラッセルをせずに除雪された道を経由し、右岸の道へ合流できるのであるが、いつも忘れてしまう)。ワカンを装着し、平坦な雪深い道を進む。かなりの積雪でどこに沢を渡る橋がかかっているのかまるで分からない。取付までには小阿寺沢にかかる橋を一回渡るはずなのだが…。辺り一面には小阿寺沢からのものと思われるデブリが薄気味悪く広がっている。
思いのほか時間がかかりようやくにして取付にたどり着く。鉄塔を正面に見据え、出だしから急な末端に取付く。膝程度のラッセルだが、ラッセルもワカン装着も初めてのRには苦しい登りだろう。一応、ラッセルのやり方を説明はしたが、しばらくはあれやこれや自分なりに苦労しながらの登りを続けている様子。
鉄塔を過ぎると急登が落ち着くが、雪の深さはさらに増す。場所によっては腰、胸、肩、頭、その上となる。5~10分程度で交代をしようと考えていたが、想像以上にRが頑張り続けるので、こちらもあまり短い時間で交代を申し出づらく、一回につき20~30分は奮闘せねばならない。
今回は雪洞と決め込み、天幕を持ってきていないので、雪洞掘りのため15時が行動中止のリミット。周辺を見回し、絶好の場所を発見。3m以上は厚みがあるだろう東側に張り出した雪庇の下。早速スコップで穴掘り。途中で交代しながら、二人で掘り進む。雪がちらつき始め、次第に外は吹雪になる。ある程度掘り進むと、未完成ながら雪洞内は明らかに暖かい。二人分の寝られるスペースを確保し、雪洞完成。2時間半かかった。辺りはいつのまにか暗くなっていた。
焼酎のお湯割りを飲み、晩飯のきりたんぽ鍋で温まる。翌日4時半起床の6時半出発とし、22時頃シュラフに入る。夜半に焦げくさい匂いで起きたら、ロマンティックな雰囲気を演出していた雪棚の蝋燭が傍に置いていたRのメガネを焦がしていた。なんということか!

5日
事件から一度も目覚めることなく熟睡。目覚ましを億劫がってかけていなかったこと、また外部の音が完全に遮断されていたことで、6時半過ぎに目が覚める。気にしていた雪洞の天井からの滴も一切なかった。今までで一番快適な雪洞だった。
遅く起きたら遅く起きたで仕方なし。朝食にネギラーメンを食し、テルモスに入れる紅茶を沸かす。のんびり支度を済ませ、荷物を雪洞内にデポして空身で出発。天気は上々。
出発が3時間も遅れたので、阿寺山は難しくなってしまった。引き返すリミットを13時とする。せめて西稜まではたどり着き、Rに真白き八海山を拝ませてあげたい。かなりペースを上げてラッセルに精を出す。ララララッセル~、ララララッセル~、ラララ~。毛虫はいずこ?冬眠中らしい。
西稜が近づいてくるが、時間のリミットも押し迫ってくる。あと1ピッチとかからないだろうところでRにラッセルを交代(12時50分)。自分は雪の上で仰向けに倒れこむ。サングラス越しの太陽が猛烈な眠気を誘う。目が覚めると、完全に眠りに落ちていた自分に気付く。腕時計を見ると13時30分。40分もRにラッセルをさせていた計算になる。慌てて西稜方面を見るが彼女の姿はない。トレースは戻ってきた踏み跡を示していない。まだラッセルしているのか。全速力でトレースを追う。西稜に出るところで圧倒的な巨大雪庇がこちらへ覆いかぶさっている。その左手へトラバースして、今まさに西稜に出る彼女の姿を目が捉える。申し訳ない気持ちでいっぱい。最後に雪庇が出ている辺りへの登りを交代する。
なかなか後方から追いついて来ないので大声で呼んだらしい。返答がないので、あまりにハードなラッセルのせいで死んだのかと思われていたらしい。それはなかなか面白い発想。後ろから見ていて、それだけ鬼気迫るラッセルに見えたのだろうか。確かに自分でもかなりの形相でラッセルをしていたように思う。すべては寝坊のせい。あれだけ寝たのに雪上で眠気に襲われたのは一体どうしたというのか?かつて経験のない出来事。
阿寺山までの西稜は今後の宿題となってしまったが、阿寺沢左俣左稜は踏破し、西稜へたどり着いた。西稜は素晴らしく雪庇の発達した登り甲斐のあるラインで目を楽しませてくれた。その先には阿寺山がのっぺりした白い頭を覗かせていた。Rはこの西稜を稜線漫歩したかったと不満をこぼしていた。申し訳ない。次回は必ずや。そして、広掘川を挟んだ八海山もいずれ厳冬期に…。
この時季の越後にしては珍しい360度の眺望を楽しむ。八海山、阿寺山、丹後山から巻機山までの稜線には中津川山が真っ白にひと際大きく鎮座し、巻機山の手前には大割山、小兜山、大兜山が、そして金城山が右隅に。どれも2000mには届かないが、厳冬期には第一級の雪稜になりかねないルートを懐に抱いている。見ていて飽きがこない。
引き返すリミットの13時を1時間もオーバーし、14時に西稜を後にした。往路4時間以上かかった雪洞からの道程はわずか35分で下った。パッキングを済ませ、快適な雪洞に別れを告げる。
初日に付けたトレースは4日午後の吹雪でほぼ消え失せ、ところどころわずかな窪みを残すのみ。それを頼りにラッセルしていく。初日の登りで5時間半かかったところを1時間15分で下山。取付に出る。
行きとは異なる除雪された車道へ向かい、三国川左岸の道路を速足で野中のバス停へ。すでに停まっていた17時5分発のバスに1分前で間に合った。運転手は行きと同じ人だった。降車時、中ノ岳に登ったのかと聞かれたが、阿寺山ですとだけ答えた。
六日町駅から大勢のスキー客と一緒に電車に乗り、越後湯沢駅で新幹線に乗り換え、帰京。(P)
取付までのラッセル
阿寺沢左俣左稜末端のラッセル
なだらかにはなったものの膝上のラッセル
冬らしい阿寺山
股下までのラッセル
眼下に三国川ダム
腰までのラッセルを交代し休憩
西稜を眼前に捉える
ガスる金城山
トレースを振り返った先には巻機山
西稜上に発達した雪庇
真白き越後沢山
ひと際大きい中津川山
天へのラッセル
鬼気迫るラッセル?
阿寺沢左俣左稜上部にてトレースを振り返る
ガスの切れた巻機山
高倉山方面
阿寺山南西稜上部
死んだように眠りに落ちる直前のラッセル
西稜直下の巨大雪庇
西稜へトラバースするR
西稜から望む八海山
山口集落
中津川山遠望
阿寺山への西稜
高倉山への西稜
丹後山から中津川山への白き稜線
陽に照る金城山とガスる巻機
野中の夕景
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